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『24』 [オヤジの独り言編]


「24」について

オヤジがよく言っているんだけど、いつも「24」という数字に付きまとわれていて、必ず何かあると24だといっていた。

まずオヤジの誕生日が「24日」で、実家の電話番号が末尾4桁が「2424」で、出席番号が「24」で、高校の受験番号が「24」と・・・・、数々の24に支配されてきた、とも言っていた。

で、そんで開きなおって積極的に「24」を使うようになったみたいで、車のナンバーをわざわざこの番号にしたりIP電話の番号に使ったり、自分で決められる数字にはこの番号を入れているみたい。

それで、今日またなんでこの番号のことを書こうとしたか、聞いてみると、たまたまあるブログを読んだらこの数字の意味というのが目に入った、ということだ。

でなんだったのか?それが、、またまた、、、出てきたんだ、、、、と本人びっくり!仰天!!

あの「2012」という数字だったんだって!

あの時の映画はまだ見てないとかで、あんまり興味はないようだけど、なんで2012かと聞くと、「平成24年」だから、

だ、そうだ。

 ん~、じゃあ、なんで小さい時から(平成が無いときから)それが決まってるのか、いろいろ疑問は残る。

で、そのブログを見て、「24」と「2012」という数字が出たので、ここのブログを久しぶりにアップしようとして管理画面を開くと、なんと、、そこには「下書き」のタイトルに既に「24」と出ていたんだって!!!

またオヤジが既に書いてたんでしょ?と聞いても「記憶がないらしい」。

んんで、中味はなんて書いてあったのか・・・「何も書いてなくて、ただタイトルに、その数字が入ってた」

たぶん、オヤジが忘れてるだけだと思うのだが、やけに、この一つの流れに乗っていて方向ずけられている、とか何とか言っていた。

また、今年に入り(2/4以降)少し、変わってきたんだって、なんだかはわからないけど、やっぱり『2012」に向かって流れているらしいことはつぶやいていた。

つぶやきといったら、最近はツイッターとかにオヤジははまっているとか。

たぶん、こことおんなじで「ぼやき」になっていると思うけど・・・・。


と、ここまでは実は去年の2月に書いたものだった。

今は2011年の3月27日で、「2012」というタイトルの記事を書いたのが、2009年の11月だった。

下書きに自分では覚えていない「24」が最初から入っていたというのは、忘れていただけだと思うが、それが気持ち悪くてエントリーしてなかったように記憶している。

さて、2週間前の3月11日に東北地方と関東地方が大地震に襲われ、マグニチュード9.0という大惨事になった。

特に津波の被害は甚大で、町全体がのみ込まれ、跡形もなくなったところも少なくない。

この津波を見て最初に思ったことが、「一年早かったのか」というものだった。

以前の記事にも書いた大阪のマッサージのおばちゃんが予言したことは、あまり詳しくは書かなかったが、彼女が言っていたことは、まず「水」が来て、次に「火」が来る、というものだった。

だから津波で、あれだけの被害が出たことは水ということで、次の火ということになる。

それについては火山の噴火ではないかと思っている。

それが来年の2012に起きるのではないかということである。

実際に東日本大震災の後、各地の火山活動が活発になっている。

参照:震災後、全国13の活火山が活発化 専門家「注視」(朝日新聞2011年3月25日

3月15日には静岡で震度6強の地震が起きていて、震源地は富士山の近くだった。

2012に向けて富士山の噴火を視野に、火の災厄に注視していかなかればならない。

火山ともう一つが放射線被害だ。

これはもう、関東から逃げたほうがいいのではないかと思うくらいの惨状である。

もしかしたら2012年は、放射能拡散になることも考えられる。

 

 


伊勢正三 「風」ひとり旅コンサート [オヤジのメモ]

 伊勢正三 「風」ひとり旅コンサート で全国へ

「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお歌い継がれる名曲を生み出してきた伊勢正三さんが、全編「風」時代の楽曲によるアコースティック・ライブに、2年前から精力的に取り組んでいる。今、風と向き合うことが自身にとっての挑戦になっているという。その胸中には風の相棒・大久保一久さんへの思いもあった。


伊勢正三さんこんな時こそ、歌の力を信じて
「こういうことが起きると、何のために自分が音楽をやっているのかということを、ものすごく考えさせられますね」

取材数日前に起きた、東日本大震災のことだ。

「苦難に直面した人間が、どうしようもないやるせなさ、つらさを乗り越えるために誕生したのが音楽だし、人の気持ちを前へと向かわせるのが音楽の役割。様々な不安が蔓延(まんえん)している今だからこそ、僕らミュージシャンはもともと持っている純粋なエネルギーを世の中に還元していくべきだと思う。僕も本当にいい歌を歌いたいし、いい演奏がしたい。すごくそういう気持ちになっています」

いい音楽が流れていれば、心は安らぐもの。それがほんの一瞬だとしても。「歌の力を信じてより精進していかなければと、今回の震災で思いました」と伊勢正三さんは言う。

そんな伊勢さんが2009年4月から取り組んでいるのが「風」ひとり旅コンサート。すべて風時代のナンバーだけで構成されたライブである。

1971年、高校時代の合唱部の先輩でもある南こうせつさんに誘われ、フォークグループ「かぐや姫」に参加し、「神田川」の大ヒットによって一世を風靡(ふうび)した。そしてかぐや姫解散後の75年、大久保一久さんと風を結成。かぐや姫時代から、洗練されたメロディーと情感あふれる詩の世界で人々を魅了していたが、風では「かぐや姫の伊勢正三」とは違った、新たな音楽の世界を展開。それによってさらに熱烈なファンを増やしていった。事実、「ささやかなこの人生」「あの唄はもう唄わないのですか」「海風」「君と歩いた青春」「海岸通」といった名曲の数々をはじめ、79年に解散するまでに発表したアルバム6枚、シングル6枚の楽曲は、時を経た今も多くの人々の心にしっかり刻まれている。

「風」ひとり旅コンサートは2007年、風の再結成に近いプロジェクトが動き始めたことがきっかけだった。翌年には、東名阪で再結成ライブを実施することが決まり、リハーサルも順調に進んでいた。ところが、その矢先の08年4月1日、相棒の大久保さんが倒れてしまった。命にかかわる病だった。

「最悪のエープリルフールでした。緊急を要する大手術で翌朝、何とか一命は取り留めてくれたものの、ライブ活動を行うことは難しくなりました」

そして1年後、伊勢さんは一人で「風の旅」を始めることにした。

「大久保君の回復を願いつつ、彼が奇跡的に助かった4月2日から、ポツリポツリと全国各地をまわることにしました。なぜか和歌山県の潮岬から始めたくてそうしたのですが、ちょうど丸2年がたち、20カ所ほど行きました」

ギターを弾きながら歌うというごくシンプルなスタイルでのライブを繰り返す中で、風こそがまさに自身の原点だと再確認している。

やり残したことがあるような気がして…それが「風」だった
 ―― 以前から、時代が「風」の頃の曲を欲していると感じていたそうですが

ソロになって、ほとんどライブをしていない時期が長くあったのですが、2000年あたりから「かぐや姫」の再結成やイベントへの参加を契機に、徐々にライブの機会が増えていきました。最近では「なごみーず」という太田裕美さん、元ガロの大野真澄さんとのユニットでも積極的に活動しています。

そうしたライブで風の曲を演奏すると反応がとにかく大きいんです。イントロを鳴らしただけですごい拍手がきます。そのたびに、あの頃のお客さんは自分が思っている以上に、相当な集中力を持って僕らの歌を聴いてくれていたんだなと実感します。それに応えるには、当時の楽曲をただ披露するだけではなくて、僕自身が相当な集中力と意欲を持ってちゃんと表現しないといけないなと思ったんですよね。本来なら大久保君と2人で実現できればよかったのですが、それは無理なので一人で挑戦しようと決め、風の旅を始めたわけです。あの頃の歌の中にいる自分の若さをもう一度見つめ直すのも悪くないかなという思いもありました。

―― しかも、アコースティックギターだけというシンプルなスタイルでの挑戦

そう。一番得意とするギターサウンドではあるのですが、それだけでどこまで風が表現できるか。実際、ライブでは予想もできないほどのエネルギーが出るし、また、それだけのパワーがないとできないことに挑戦しています。今だったらあの頃のサウンドをこんなふうに表現できるかなって、いろいろ試行錯誤するのも楽しみになっています。

―― 風というのはどんなグループだったのでしょうか

思うがままの音楽をやりたい、どこへでも自由に行きたいと願い、風と名づけたほどなので、基本的には自由だったと思います。たった4年という短い活動期間にもかかわらず、アルバムの志向性も毎回変わっているし、特に後半は音楽的に凝り始めたのもあって、レコーディング中心の活動になり、ライブの本数も極端に減っていきました。きっと、それもあってやり残したことがあるような気がするんでしょうね、あの頃に。

―― 自由さが風のスタイルだった

ライブでもその日によってイントロが違うことも多かったんです。それがいいっていうお客さんもいたのですが、よく考えるとごく一部だったかな(笑)。でも「風」の曲をギター2本のアンサンブルだけで歌っていると、これが風だったな、自分の原点だなって。そんなことも再確認しているところです。

―― 風の曲の中で新たな発見は

2枚目のアルバム「時は流れて」に入っている「時の流れ」は、歌っていてかなり気持ちいい(笑)。僕だけでなく、お客さんのテンションもグッと上がる瞬間です。「終わりのない唄」も20代の小僧がよくこんないい歌を作れたなと感心しつつ歌ったりしています。それら以外の曲でも、とにかくこのライブでは、客席に歌詞がどんどん吸い込まれていく感じがします。


「時が解決してくれる」という思い
 ―― 何げない日常と心象風景が重なりあった歌詞と、繊細なメロディーが風の魅力です。歌詞を書くうえで心がけていたことは?

「時の流れ」です。「時がすべてを解決してくれる」という思いが根底にいつもあって、そのスタンスのもと、どの曲も書いてきたつもり。時の流れって「永久」とも言えるし、「その場限り」とも解釈できる。悲しいこともいつか解決できるし、楽しいことはまた明日は違ってくるかもしれないという意識が、何となく自分の中にあるんです、昔から。

今でも「時間って何なんだろう」と不思議でたまらない。僕は「魂は年をとらない」というのが持論で、子どもの頃と何ら心の内は変わっていないつもりなのですが、一方で、年を重ねた自分って何なんだろうとも思うし。外見だけじゃなくて心だってちょっと老けたところを感じたりもするしね。

―― 風の歌が今なお多くの人を魅了してやまないのはなぜでしょう

必ずしも僕が実体験をしたことではないのですが、あれだけリアリティーのある歌詞がなぜ書けたかと言えば、自分がいつも人と同じ目線の生活をしていたからだと思います。それと20代という年代も大きいですよね。

―― というと

10代の終わりから20代の始めって人生で一番せつない時じゃないですか。あの数年間って一番心揺れ動くし、異性に対しても最も敏感になる時期。だからこそ、その時に浮かんだ言葉や見えた景色は特別なものだったんだと思う。僕が風の歌を作っていたのがまさにその頃だから、そのせつなさに共鳴してもらえているんじゃないかな。

「なごり雪」「22才の別れ」のお陰で僕の音楽人生がある
 ―― 大ヒットした「なごり雪」「22才の別れ」は自身にとってどんな存在?

この2曲があるかないかで僕の音楽人生は大きく違ったと思います。この2曲のお陰で他の部分の僕も評価してもらえている。ただ、どちらもここまで長く、幅広い世代に愛される曲になるとは正直思っていませんでした。

「なごり雪」はかぐや姫時代に、僕が初めて作詞作曲をした作品で、ものすごい集中力で作った記憶があります。時々、もしタイトルが「なごり雪」じゃなかったらとか、一字一句でも違っていたらここまでの曲にはならなかっただろうなと思うことがあります。ある意味、この曲の誕生は奇跡に近い。僕にとっては巨大な存在です。

―― この曲はライブでは聴けるのでしょうか

風の曲ではないので、最初は予定になかったのですが、ある地方で「コンサートで伊勢さんに歌ってほしい曲は」というリクエストを募ったところ、1位が「なごり雪」だったので今は歌っています(笑)。でも考えたら、風の時は「なごり雪」だけは歌っていたんですよね。

―― 最後にみなさんへメッセージを

ギターを持って駅を降り、その町の空気感や自分たちがその瞬間に感じたものを大事にしてライブをする。それが風のスタイルでした。今回も、そこで暮らす人たちと僕の音楽がどう共鳴し合うのか楽しみにしながら各地をまわっています。みなさんにもそこを含めて楽しんでいただきたいです。


プロフィール
1951年大分県生まれ。71年南こうせつさん、山田パンダさんとともに「かぐや姫」を結成。「なごり雪」「22才の別れ」などの名曲を生み出す。解散後、75年大久保一久さんと「風」を結成。「ささやかなこの人生」「海風」などがヒット。80年よりソロへ転向。85年から表立った活動を休止するが、93年に復活。現在はソロライブの他、太田裕美さん、元ガロの大野真澄さんとのユニット「なごみーず」など、様々なアーティストとのコラボ活動にも精力的に取り組んでいる。

 

 


伊勢正三 「風」ひとり旅コンサート 2011 TOKYO 2nd
日程 2011年5月14日(土)
会場 渋谷C.C.Lemonホール
料金 6,300円(全席指定、税込み)
お問い合わせ  キョードー東京 TEL:0570-064-708
http://kyodotokyo.com/isesyozo2011
 ※日程などの詳細は上記にお問い合わせください
伊勢正三ソロ活動30周年記念アルバム 発売中
 「ソロ・シングルス・プラス」
シングル曲を中心にレーベルの枠を超え、選りすぐりの全16曲を収録

定価2,800円(税込み)
発売元フォーライフレコード


 「セルフ カバー セレクション」
「かぐや姫」「風」、ソロの楽曲、さらに未発表音源を収録した初のセルフカバーアルバム

定価3,000円(税込み)
発売元HAL Project


熱中冬眠 [ペット ]

いやあ、久しぶりの更新になってしまった。

s-IMGP6934.jpg最近のボクんちは"冬眠"に入っている。

もうそろそろ起き出してもいいと思うけど、ハハもオヤジもかなり忙しそうで、特にハハなんか、毎日家に帰ってまで仕事をしている。

ここのところ土日も仕事している時が多い。今年に入って部署が変わったっていってたけど、そんな忙しいところにいかなくてもいいと思うんだよネ。

オヤジはオヤジで去年の夏からこれとは別のブログをやっていて、ボクにはよくわからんけど、毎日パソコンに向かってカチャカチャ音だしては考え込んでいる。

二人とも、どうかしちゃったんじゃないかってボクは心配だけど、メルが「いいよ、そのうち身体がもたなくなるから、また遊びに行こうって言うよ」って言うんだけど・・・・。

このあいだハハが「今までの会社人生でこんなに"仕事の時間が欲しい"って思ったこと無いんだよねえ」とか言ってて、そんなに仕事面白いんだ、と思ったし、オヤジはブログでランキングとかがあって、40万くらいあるブログのなかで、最近はいつも30番以内には入っているとか言ってて、このあいだは、あるジャンルで3日間だけ1位になったってハシャイでたけど、それで「ああ、寝る時間が惜しいなあ」って言ってたのを聞いたのが気になる。

二人ともホント、どうかしてんじゃないか、とも思ったけど、なんか二人とも喜々として忙しそうにしてるみたいだから、いいのかなあ、こんなんで・・・・。

ホントにメルが言ってたように遊びにつれてってくれんのかなあ。まあその代わり週末の散歩はいつもの3倍くらい歩かされていて、メルは短めだけど、ボクだけムスメ達と一緒で長距離で、もういい歳なんだからヘトヘトで家でのんびりしてたほうが、ホントは好きなんだよねえ。

だからボクはたまに遊びに連れてってくれればいいし、散歩もメルと同じ短めでいいのだ。ホント。

そのかわりボクも何かに熱中できるものを探そうか、と最近は考えていて、いかに脱力して力を要れずにムスメ達と遊ぶか、とか、寝るときには、いかに、いい場所を確保するか、とか・・・。まだ他に何かあるかもしれないから、寝て考えよーっと。


「欲望」は善か悪か [オヤジの独り言編]

またまたオヤジの独り言が始まった、が最近はボクが聞いてなくても一人でしゃべってるから、半分無視している。

井上陽水の唄で有名な「限りない欲望」がある。子供の時に白い靴が欲しくて母にねだって手に入れたら、今度は青い靴が欲しくなった。二十歳になり好きな彼女を追い求め、教会での結婚式当日、指輪をかわす時に相手の指を見たら、既に見飽きた指だった。死ぬ間際になって、どうせ死ぬなら天国へ、と限りなく欲望が続いていくという、唄だ。

人間に欲望が無くなったら、科学の進歩も無くなるだろうし、発展もしなくなってしまう。ただ仏教では、「欲望を求める人は苦しみを求めている」といわれているように、欲望を「煩悩」の一つとして否定的に扱っている。欲望というのは限りがないので、どこかでそれを規制し、一時期は悪として忌み嫌わなければ、教育が行き届いていない時代や、成長していく上で、それが障害になってしまうような時期には、そのような考え方も必要だと思われる。煩悩に執着する心をいかにコントロールしていくか、ということだと解釈できる。その名残として、育ち盛りの子供などに一つの指針として教育や躾などに、それを利用してきたように思う。

なんで欲望が気になるかというと、人間の行動を規定するものを考える時、その動機となっている根底が欲望ではないかと思ったからだ。何かをやってみよう、とか、こうしてみようとか思うときは必ずそこには、そうしてみたい、こういうことをやってみたい、という欲望があり、それが動機となって行動に移される。

「動機づけ」の事を考えていて、その原点は欲望なんだという結論に達して、本格的に心理学を学んできた人やマーケティング理論などを少しでもかじれば、そんなことは考えるまでもなく「当たり前」の事だと言われそうだが、意外と知っているだけで、実感したり、体得するというところまでは自分も含め少ないような気がする。

なぜ動機づけかというと、人間の全ての行動・言葉・表情・思考経路・感情の状態などは、原点が様々な動機づけによっていて、その動機づけが欲求に寄って立っているんだ、ということで、欲求と欲望について調べてみた。

まず欲求と欲望は同義語の表現や使う場所の違いではなく、手のひらと手の甲の表と裏くらいの違いがあると思う。「欲求」は本能と同じく生きる上で、全ての動物がもっている食欲・眠欲・生欲・性欲などで、生理的・本能的な欲で、「欲望」は、同じ欲でも人間しか持ってない創造したり発展するために必要なものかな? 

欲望は、物欲、金銭欲、名誉欲、自己顕示欲などそれが満たされた時に快感を味わえる、ということで、より能動的な欲望である。欲求は生きていく上で身体が必要な最初から生き物に付与されている「生きるため」の欲望である。
 
マズローは、人間の基本的欲求を低次から

1.生理的欲求(physiological need)

2.安全の欲求(safety need)

3.所属と愛の欲求(social need/love and belonging)

4.承認の欲求(esteem)

5.自己実現の欲求(self actualization)

の5段階に分類した。このことから「階層説」とも呼ばれる。また、「生理的欲求」から「承認の欲求」までの4階層に動機付けられた欲求を「欠乏欲求」(deficiency needs)とする。生理的欲求を除き、これらの欲求が満たされないとき、人は不安や緊張を感じる。「自己実現の欲求」に動機付けられた欲求を「成長欲求」としている。

人間は満たされない欲求があると、それを充足しようと行動(欲求満足化行動)するとした。その上で、欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されると、より高次の欲求へと段階的に移行するものとした。例えば、ある人が高次の欲求の段階にいたとしても、例えば病気になるなどして低次の欲求が満たされなくなると、一時的に段階を降りてその欲求の回復に向かい、その欲求が満たされると、再び元に居た欲求の段階に戻る。このように、段階は一方通行ではなく、双方向に行き来するものである。また、最高次の自己実現欲求のみ、一度充足したとしてもより強く充足させようと志向し、行動するとした。

欲求の種類もマレーによると、かなり多くなり細部に分類している

  • 獲得:財物を得ようとする欲求。
  • 保存:財物を収集し、修理し、補完する欲求。
  • 秩序:整理整頓、系統化、片付けを行う欲求。
  • 保持:財物を持ち続ける、貯蔵する、消費を最小化する欲求。
  • 構成:組織化し、構築する欲求。
  • 優越:優位に立つ欲求。達成と承認の合成。
  • 達成:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。
  • 承認:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。
  • 顕示:自己演出・扇動を行う、はらはらさせる欲求。
  • 保身:社会的な評判・自尊心を維持する欲求。
  • 劣等感回避:屈辱・嘲笑・非難を回避する欲求。
  • 防衛:非難・軽視から自己を守る、また自己正当化を行う欲求。
  • 反発:二度目の困難に対して再び努力し、克服・報復する欲求。
  • 支配:他人を統率する欲求。
  • 恭順:進んで他人(優越な人間)に積極的に従う欲求。
  • 模倣:他人の行動やあり方を真似する欲求。
  • 自律:他人の影響・支配に抵抗し、独立する欲求。
  • 対立:他人と異なる行動・反対の行動をとる欲求。
  • 攻撃:他人に対して軽視・嘲笑・傷害・攻撃する欲求。
  • 屈従:罪悪の承服・自己卑下の欲求。
  • 非難の回避:処罰・非難を恐れて法・規範に進んで従う欲求。
  • 親和:他人と仲良くなる欲求。
  • 拒絶:他人を差別・無視・排斥する欲求。
  • 養護:他人を守り、助ける欲求。
  • 救援:他人に同情を求め、依存する欲求。
  • 遊戯:娯楽などで楽しみ、緊張を解す欲求。
  • 求知:好奇心を満たす欲求。
  • 解明:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。
  • となっている。(ウィキペディアより)

    これらの欲求がなんらかの理由で満たされない時にストレスになっていく。

    葛藤
    • 接近と接近 - ラーメンも食べたいけど、ハンバーグも食べたい。
    • 回避と回避 - 塾にいくのは嫌だし、かといって家に帰っても親に叱られる。
    • 接近と回避 - 試験に受かりたいけど、勉強はしたくない。

    障壁

    • 物理的障壁(天候・時間・距離など) 例 - 運動したいが、外が雨でできない
    • 社会的障壁(法律・評判・習慣など) 例 - バイクに乗りたいが、まだ16歳以上でないので免許が取得できない
    • 個人的障壁(能力・容姿・思想など) 例 - 試合に出たいが、それだけの能力がない
    • 経済的障壁(お金・物資など)      例 - ブランド品を買いたいが、お金がない

    となる。

    欲望については、それ自体は善でも悪でも無いが、その方向性が問題となると思う。

    フロイトは人間の一番強いエネルギーは「性的エネルギー」であるとし、そのエネルギーをそのまま使うのではなく、その代用して何をするかによるとのこと。芸塾家は絵を描くことでそのエネルギーを使い、会社経営者は会社の発展のためにそのエネルギーを使い、サラリーマンはその仕事かあるいは自分の趣味にエネルギーを使う。

    欲望や欲求を押さえ込むのではなく、いかにそれを昇華させ、方向性を示してそのエネルギーを利用していくかにかかってくるのではないかと思う。

    こうしてみてみると欲望は仏教が言うように決して「悪」では無く、行動の源泉であり、人間の根源的な、人間を人間たらしめている重要な要素であり、善でも悪でも無いことがわかる。

    今までは「欲があんまりないので」と欲を否定することにより自分を肯定している表現をしたり、「欲深い人」「欲の塊」というと有無を言わさず「悪」だと決め付けたりと、「欲」というのは虐げられてきたとも言える。

    「欲」の方向性を見定めて、それを規定し方向付けることに腐心していくことが肝要だと思える。

     

    s-IMGP6988.jpgニュースなんかで毎日やってるけど、殺したり殺されたり、騙したり傷つけたりと「人間というのはどうしようもない」と思う時がある。ボクから見ると、何でそんなに欲に縛られているのか、なんでもっと他の人のことも考えてあげないのか、なんでそんなにひとりで悩んでいるのか、わからない。与えられているもの以上のものを望む時に苦しむものであり、犬の世界では全てをまず受け入れているから悩むことは無いんだけどネ!


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    林住期 [ボクのつぶやき]

    2010年が明け、今年はオヤジも50歳という節目の歳だと言っていた。

    50歳というとオヤジという言葉が似合う歳だと思うけど、精神的にはまだ30代前半くらいだとも言っていて、骨年齢とか脳年齢なんかで、それをやるとオヤジはまだ20代だと自慢していたっけ。

    古代インドの思想では、人の一生を4つの時期に分けて考えている。
    「学生期」(がくしょうき) 0~24歳 修行に励む時期
    「家住期」(かじゅうき) 25~49歳 職業と家庭をもって社会生活を営む
    「林住期」(りんじゅうき)50~74歳 仕事と家庭を捨てて森に住む
    「遊行期」(ゆぎょうき) 75~90歳 森を出て、天下を周遊し、人の道を伝え、生涯の結実を世に残す

    オヤジがオトトシの暮くらいから「田舎暮らしだ!」とか言って、いろいろな土地を見に行ったりしていて、情報収集をしていた時期があった。ボク達も付き合わされて一緒に見に行っていたんだけど、中には川の中心くらいまで自分の土地で、「免許とかがなくても鮎が獲り放題ですよ」というのがうたい文句だった。また、まだ老夫婦が住んでいて売りに出されていた古民家にお邪魔して、いろいろ話を聞いてきたりしていた。

    「仕事と家庭を捨てて森に住む」というのは、オヤジもまさに、そういう年齢になったのか、という感じ。

    五木寛之著のベストセラー本「林住期」では、社会人としての勤めを終えた後、すべての人が迎える最も輝かしい「第3の人生」ということだ。趣味でもなんでも自分がやりたいと思っていたことなどをやる時期で、そこにはお金というものは絡まない。旅をしたり山に登ったり、好きな研究をしてみたりと、自分の時間というものを大切にすることではないかと思う。でも、それをするにもお金はかかるから、それまで準備しておけということか?この本の中で、オヤジが一番気に入った言葉が、「夫婦は愛情ではなく友情を育む時期である」ということだそうだ。

    この区分は元々インドのヒンドゥー教の男子に適用される理念的な人生区分のことで、「アーシュラマ」というみたい。本来ならば、瞑想や苦行などによりカルマを落とすのが人生の目的みたいな教義だけど、とても一般人には世捨人みたいな神聖な人生を生きられないことから、妥協点をみつけて区分されたようだ。

    一方、中国では孔子という人が50歳の時に「天命を自覚した」と言っている。原文だと「子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩」となる。

    「子曰く、吾れ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知り、六十にして耳順う。七十にして心の欲に従って矩を踰えず」ということになる。
    現代語に訳すと「孔子は言いました。私は、十五歳の頃に学問に生きることを決意した。そして三十歳でやっとその基礎を築くに至った。四十歳にして、これまで自分が学び、創りあげてきたものが間違いではなかったと確信することができるようになった。五十歳になって、自分がこのように世の中のために努力を続けることは運命であったのだということに気が付いた。六十歳になる頃には、自分とは異なる意見を聞いても腹を立てることが無くなり、素直に納得すること、あるいは受け入れることができるようになった。七十歳にして、ようやく自分の思うままに行動をしても人間の法則から外れることがなくなった」 http://www.geocities.co.jp/Bookend/1468/isei.html

    まあ、これは孔子様自身の事なので、とても凡人には当てはめることは難しい。が、全てが、結果的にそうなっていった、という話なので、常日頃の心構え的なものを諌めているのではないかと思う。

    s-IMGP6988.jpgボクも年齢的にはその「林住期」に入っていることになる。娘達も順調に育って、一緒に遊ぶのも疲れてきたし、そろそろ、ここから抜け出して、森にでも逃げこもうかな!?


    シンクロニシティ=共時性 [オヤジの独り言編]

    「シンクロニシティ」という心理学用語がある。そのまんまのタイトルの本を、25年も前に一度読んだだけなので、内容などはほとんど忘れてしまったけど、この言葉だけは、よく頭に浮かんでくる、というか「あ、シンクロだな」とか一人で言っている。 「意味のある偶然の一致」ということだが、日本語では「共時性」と訳されていて、心理学者のユングが提唱した概念だ。

    最近、この「シンクロ」が起きた。

    毎年、ある忘年会の幹事をやっていて、忙しさにかまけて日程を決めかねていたんだけど、候補日を決める前にまず、副幹事的なヤツに連絡しなきゃと思っていた、ちょうどその日にそいつから別件で電話があり、忘年会の相談ができ、それからその日の夕方、1年に一回その忘年会で会うだけという人に、あるビルのエレベーターの中で声を掛けられ、「あっ今度また忘年会案内します」と一言だけ言うことができ、まだ案内メールを出せずにいた次の日の朝、駅へ向かう途中で、一台の車が私の横にぴたりと止まり、声を掛けられた相手が、例の都議会議員で、駅で街頭演説した帰りということで、すかさず「忘年会案内するので来れたら来てね」といって一瞬で別れ、電車に乗ったらすぐに、「○日はダメだから外しておいて」というメールが別の人から届いたと思ったら、また違う人から「いつやるんだ」とお叱りのメールがきたという、これって「共時性」というのか、ただ単に忘年会の連絡が遅くて、みんなから「どうしたんだ状態」でプレッシャーをかけられたんだか、と疑問に思うのだが、これらがほとんど24時間以内に起こったことに関しては、やっぱり「シンクロニシティ」だ、と実感した次第である。

    ユングが提唱し、そのユング心理学の根幹の一つに「集合的無意識」(普遍的無意識)がある。(ここからは自論)        たとえば、胎児がお腹の中で成長していく過程は、生物の起源から進化してきた過程が再現される(ヘッケルの反復説)と言われていて、その図式と同じく、それを精神的観点で見たときに、人間の意識層の奥深いところでは、動植物に共感する同じ次元の意識があって、その深層意識には、大きく二つあると思っている。一つは、生物の進化の過程においての意識で、人類の悠久の歴史から綿々と引き継がれている、積み重ねられてきた意識層であり、時間軸としての集合的無意識(縦軸の無意識層)。もう一つは、現在の家族、地域、民族、国家を超えた、人類の中に共感する無意識層で、響き合い、通じ合う、という同時代の空間軸としての集合的無意識(横軸の無意識層)、と勝手に名づけて勝手に思い込んでいる。

    ある人が何か一つの事を想うとする、それが強ければ強いほど共時性の輪が拡がっていく。水滴が静水に落ちて波紋が拡がっていくように、その意識は伝播して、その人の意識と共鳴・共感する人に移っていく。その想いが一点に絞られているほど強く共鳴し、想いが強いほど拡く伝播していく。

    今回は忘年会という共通の話題に「まだ日程は決まらないの?」という一点の、より強い意識となって共鳴し伝播した結果なのである。(笑)

    この「意味のある偶然の一致」は、必ず誰でもあると思うが、ただの「偶然」として片付けられていることが多いと思う。

    逆に言えば、あえて強く念じることによって、自分の主張を人に伝播させる、ということもあり得ることになる。

    現象から見た場合は、ある人物が持っているもの、着ている物、している事などが、自分の中にあった潜在的な願望や、やってみたかった欲求などが、それを見て、聞いて、読んだ事などによって、共鳴・共感して、自分もそれが欲しくなったり、やってみたくなることなども「シンクロニシティ」のある側面と言えるのかも知れない。その人物が影響力(持っている潜在的意識の力)が大きければ、共感・共鳴する人も増えて、それが流行になったり、トレンドになったりしているのではないかと思う。

    この間、誕生日プレゼントで「Hat」買ってもらったんだけど、誰も持ってないと思ってたのに、同じメーカーのものをmieさんが既にもってたんだよねえ、見事にシンクロしちゃったか~。

    s-画像 020.jpgオヤジさあ、そんな、水の中の競技?のことをグダグダ考えてどうすんの?ボクはオヤジがもうイっちゃってるんじゃないかと心配してるんだ。


    2012 [オヤジの寝言]

    今月21日に「2012」という映画が封切られる。

     

    映画の予告編

    ユーチューブに、映画に合わせた番組がアップされていた。

     子供の頃、ノストラダムスの大予言とか好きで、所謂「トンデモ本」を読んでいた。

    だから、1999年というのは意識せずとも身体に染み付いていた時期もあったが、ちょうど今から15年くらい前、仕事で大阪に出張した時に、かなり疲れたので、ホテルでマッサージを頼んだ。来た人がどうみても苦労してそうな60代前半のおばちゃんだったが、見た瞬間に何か感じるものがあり、何気ない会話の中で、恐る恐る聞いてみたら、やはり「いろんなものが見える」と言っていた。

     何も聞いてないのに私の事をいろいろ言い当てて、最後に「2012年は特別な年だよ」と言った。私の事ではなく、世界が大変になる年だとのこと。

    まず、今までには考えられない事が起こるということで、具体的には日本が「水」の難に見舞われ、その後は「火」になって、その最初の年が2012年だということだった。

    その時は1999年も間近に迫った頃だったが、おばちゃんに会ってからというもの、とにかく「1999年」よりも「2012年」が気になって、「1999年」は何気に通り越した。

    何かの本で世界中の様々な文化の中に2012年の暗示があるということで、益々気になっていたところ、またまた、そのまんまの「2012」という映画が封切られると知り、最近は「2030」でも「2058」でも、もっと先の事を言ってくれる人が現れないかと、心待ちにしている今日この頃である。


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    見識 [オヤジの寝言]

    またオヤジのブツブツが始まった。軽く聞き流しておこう。

    最近「見識」という言葉が気になる。ふとした時にこの言葉が沸いてくる。

    この人は見識があるな!と思う人はだいたい尊敬に値する人だったりする。

    「見識」は知識とは違って、持とうと思っても簡単に持てるものではない。

    「見識が高い人」とは、それまでの人生で培ってきた知識と洞察力を元に、経験に裏付けされた大局的な総合判断ができる人である。

    だいたい「見識が高い人」と思われる人の共通点は「媚びない」「偉ぶらない」「怒鳴らない」だと思う。

    「媚びる」ということには、自分なりの計算、もっと言えば下心があり、自分よりも上と見る人(自分にとってプラスになると思う優位な立場の人)に対する自分中心の「人に対する姿勢」だ。

    「偉ぶる」は、自分の優位性を鼻に掛け、目下または自分と比較して劣位なものに対し、抱く自己満足的感情であり態度。これはコンプレックスの裏返し。

    「怒鳴る」は、自分の感情をコントロールできず、怒りをぶちまける。この場合、大きな声で叫ぶというだけではなく、心の中に沸いた負の感情を抑えられず、ちょっとした柔らかい言葉で「皮肉」を言っても同じこと。

    と適当に自分なりに分析してみた、が

    自分はというと、「心にも無いおべんちゃらを言うときがある」「人から聞いたのに知っていたように言う時がある」「よく皮肉を言う」と、「見識」とは程遠いところにいることに愕然とする。

    辞書だと 「物事を深く見通し、本質をとらえる、すぐれた判断力。ある物事に対する確かな考えや意見。識見」とある。

    「見識」には、それぞれの段階があり、その人のレベル(心の成長度)により違ってくるような気がする。なんで違うかはその人が経験してきたものによる。たとえば、いつも自分よりも人の心配をして行動するような人や、スポーツや武道でとことん自分の身体を極限まで追い込んだことがある人、また自分の心の中を客観的に見つめることができ、内省できる人などは、何もやらない人よりも精神の成長があるような気がする。

    ここで「気がする」が多くなったが、自分の出会った人がまだ限られているので、その少ないサンプルから抽出されたデータとうことから確証とまではいかず、単なる思い込みの次元であるからだ。

     このような見識をいかに持てるかが今の自分の最大の課題であり、目標である。

    s-IMGP3697.jpg                                                                                                                そうか、ケンシキか、ボクには既にあるよ、「犬識」だけど・・・。



    カナディアンカヌーとカヤックの違い [オヤジのつぶやき]

    s-s-画像 043.jpg先日、岐阜県の長良川に遊びに行ってきた、と言ってもボク達はほとんど留守番だった。普通はあまりカナディアンでは下らない上流だからということだ。

    2日目に以前来たときに会った地元のカヤッカーの人達と一緒に下ることになったようで、ボクにはよくわからないけど、オヤジの拙い説明だと、広義の意味では同じカヌーでも、カナディアンとカヤックとは、ボク達も乗ることができるオープンデッキで長さも約5メートルくらいあり、シングルパドルを使い主に湖などの静水用としてのカナディアンカヌーと、クローズドデッキで長さも1.5から3メートルくらいのダブルパドルを使用する川などの流水用としてのカヤックとではかなりの違いがあるとのこと。

    今回初めて一緒に下ってみて、基本的に、根本的に、決定的に違うとオヤジは叫んでいた。ただ、道具としとのカヌーの違いというよりも、乗っている人の考え方や価値観の違いが一番の大きな要素だとのことだ。ボクにもわかりやすく説明してもらったら、例えばカヤックを格闘技的で言えばレスリングで、カナディアンは柔道や剣道などの武道になる。人と人とがぶつかり合って勝敗を決めることは同じだが、決定的な違いは、そこに「道」があるかどうか、ということだそうで、(余計にややこしくなってきた)レスリングは競技が目的だが、武道は勝ち負けも重要なファクターにはなるけど、心・技・体を武道を通していかに成長させていくかに、より重きを置いている、ということだそうだ。(ん、もっとややわかりにくくなってるぞ、で、カヌーはどうしたの?)

    オヤジにもっとボクにもわかるように説明してみて、と頼んだら、徐々に鼻の穴が膨らんできてリキが入ってきてしまった。(あちゃー、もう止められないかも)

    s-P8160082.jpg                                                                    カナディアンカヌーでの川下りは、スポーツとしてではなく、一つの旅のカタチとして捉えていて、朝起きた時から、それは始まっている。すがすがしい早朝から起きだして、ゆっくり会話を楽しみながら朝食を摂る。

    s-IMGP7053.jpgスタートしても風を感じながら川の流れに任せて、パドルをほとんど漕ぐことなく、ゆったりと進んでいく。鳥のさえずり、水の音を聞きながら、何か気になるものを見つけたら近寄って確かめてみたり、瀬があればスカウティングして、どんなルートがいいか、流芯の方向は、波の向きは、岩の位置は、などじっくり確かめながら一人ずつ下る。

    s-IMGP7009.jpg s-IMGP6285.jpg

    だから普通に下るのと比べたら2倍は時間をかけている。これはなにもカナディアンカヌーとカヤックとの違いだけではなく、スタイルの違いだ。カナディアンでもスポーツ的に早く下る人もいれば、カヤックでもノンビリとゆったり下る人もいるだろう。

    s-IMGP5441.jpg

    ただ道具としてのカヌーのもっている機能、製作目的を考えれば、カナディアンは荷物を積んで旅に出られるように作られていて、カヤックはロールをしたりサーフィンしたりと、水と戯れることを目的として作られている。瀬に向かうときもカヤックは流芯に沿ってヒーローコースをとり、パドルをフル回転させ、とにかく漕いで漕いで漕ぎ続けて、瀬を越える時に派手なパフォーマンスでも入れば拍手で迎えられる。

    s-IMGP1265.jpgそれに比べカナディアンはかなり地味である。瀬に入る前は、いかにスピードを殺し、流芯を避け船をコントロールしながらゆっくりと乗り越えていく。何度も言うがこれはどちらが良い悪い、どっちが面白いか、どっちが優れているのか、の問題ではなく、スタイルの違いなのである。 だからそんな違いがあるカナディアンとカヤック、またはスタイルの違う人達と一緒に川を下る事自体が、最初からお互いが気を使わなければならない要素が含まれていて無理があるのである。 車と自転車で一緒に旅に行くようなものだ。

    s-IMGP6931.jpg                                               (やっと終わったかな、兎に角オヤジの話は最近特に長くなった、回りくどいというか、枝葉末節の話が多いというのか)なんとなくボクも理解できたような顔してたらオヤジも満足したようだ。 ホントはレグがヒートで今ボクは思考能力が無く理解力ゼロなんだけど…。

    最後にオヤジが一言ポツリと言った。

    これはほとんどmieさんが言ってたことに付け足しただけなんだけどね・・・。なんつって!これホント。

    なぬっ?


    祝勝会 [ボクのつぶやき]

    090908_1931~0001.jpgオヤジの知り合いで元区議の関口太一という人が東京都議選で当選し、祝勝会をしたとのことで昨日は夜中に大酔っぱらいで帰ってきたようだ。

    ボク達はもうに寝てたんだけど、今朝はみんな朝ご飯が終わってハハはもう出かけるという時に、オヤジが起きてきて「おはよう、じゃあね」で会話は終わり。

    なんだか気まずい雰囲気が漂っていた。

    ハハは先週まで病院に行っていたんだけど、かなり回復しているようで今週からは会社にいっている。ボク達はよくはわからないんだけど、今流行りのインフルではないようだ。だから、ここんとこお出かけはなしで、オヤジが散歩に連れてってくれている。

    その都議になった人は区の中でトップ当選だったらしく、オヤジもよっぽど嬉しかったんだと思う。 そんなことでオヤジも昨日はハジケタんじゃないかな。

    これで日本も変わるかなあ、とまたオヤジのブツブツが始まった。


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