夢はコントロール可能! [オヤジのメモ]
人は誰でも寝ているときに夢をみる。睡眠中、身体は眠っているのに脳は活動しているレム睡眠と脳も眠っている状態のノンレム睡眠を繰り返し、この周期は7~8時間ほどの睡眠で約5回起こるといわれている。そして、一周期にだいたい20~40分間夢をみているという。
では、なぜ人はそれぞれに様々な夢をみるのか。心理学者のイアン・ウォレス氏によると、「ひとつひとつの夢には何かしらの意味があります」とのこと。
夢の示していることとは何か。彼の説く、「一般的に多くの人がみるといわれる夢とその意味」をご紹介したい。
■何か(誰か)に追いかけられている夢 → 何らかの問題を抱えているが、それを解決する自信がない
■歯が抜ける夢 → 自己不信、自信喪失
■トイレに行きたいのにトイレが見つからない夢 → 常に誰かのために行動してしまい、自分自身のことがおろそかになっている
■公共の場で裸になっている夢 → 心身ともに傷つきやすくなっている
■何かの試験を目前に準備不足だと不安を感じる夢 → 自分自信を責めすぎている
■空を飛んでいる夢 → 自分を縛り付ける何かから解放されている
■乗り物を運転中に制御不能になり、遅刻する夢 → 願望を叶えることができず、チャンスを逃している
■自宅で使われていない部屋を見つける夢 → 自分でも気付いていない才能がある
この他にも、一般的に悪夢といわれる恐ろしい夢に関しては、「やらなければいけないことをやっていないときにみることが多いようです。そのまま放っておくと、自分の潜在意識がその問題へ気を引かせようとするため、悪夢は余計に鮮明なものとなっていきます。これはあなたがその問題に取り組むまで続くので、悪夢をみたくなければ問題と向き合うしかないのです」と説明している。つまり、悪夢は自分自身を困難に立ち向かわせようとするものなので、非常に健全なことなのだそう。
「夢は、現実世界での問題や身の回りの出来事、情報などが何らかの形で反映されたものであるため、自分が昨夜みた夢の意味を理解するには、まずは夢の内容をできるだけ覚えておき忘れないうちに書きとめることが重要です」とウォレス氏は語っている。
人は、目覚めて5分以内に夢の内容の50パーセントを忘れ、10分経てば100パーセント忘れてしまうという。
そうならないために、そして夢の意味を理解するために、ウォレス氏がお薦めする対処法がコレだ。
1、目が覚めたら、動き出す前に少しのあいだ横になった状態で夢の内容を思い出す
2、詳細にこだわりすぎず、要点を書きとめる
この二つを毎日行うだけでも自分がみる夢のパターンや背景が見えてくるという。さらにこの二つに慣れてきた上級者には次のような方法も薦めている。
3、起きているときに、できるだけ長く夢をみるよう自分に言い聞かせて意識にすり込むようにする
こうすることによって、ある程度夢をコントロールすることも可能になるそうだ。これは「夢であると自覚しながらみている夢」すなわち、明晰夢(めいせきむ)と呼ばれるものである。これができるようになれば、例えば、誰かに追われる夢をみても逃げるのをやめてその人になぜ追いかけてくるのかを聞くことができる。すると、現実世界で抱えている問題に気付き、向き合うことができるのだという。
夢は、普段あなたが気付いていない自分自身の問題を気付かせてくれるかもしれない。興味のある方は、試しにウォレス氏の提案する方法を実践してみるといいだろう。
photo:flickr kendal7
参照元:The Telegraph(英文)
http://tgr.ph/mLqFSX
rocketnews24
http://bit.ly/lnzxYD
さらなる天変地異の予兆か? [オヤジのメモ]
また2005年3月12日にスマトラ島西部のタラン山噴火。2006年3月13日に、ジャワ島西部のタンクバンプラフ山が噴火と、火山活動が活発化している。
日本でも震災後13の火山活動が活発化しているという。
・震災後、全国13の活火山が活発化 専門家「注視」 (朝日)
3.11の三か月後6.11は乗り越えたものの、巨大余震が日本でも起きる可能性がある。
下記の記事はそうした憂いをさらに予兆として、今一度、ライフラインを自分たちで確保しておく必要があるのかもしれない。
アユ5万匹 謎の大量死…金沢市の浅野川
(スポーツ報知 2011年6月16日8時00分)
石川県金沢市田上本町の浅野川で大量のアユが死んでいるのが見つかり、県、市などは15日午前、約1万匹の死骸を回収した。アユは数キロの範囲で死んでいた。水質検査の結果、有害物質などは検出されていない。回収できていない死骸を合わせると、死んだアユは最終的に3万~5万匹に及ぶとみられる。浅野川では、16日がアユ漁の解禁日。その直前に発覚した異常事態に関係者らはショックを受けている。
地元の太公望が待ち望むアユ漁の解禁日目前に、ショッキングな“事件”が起こった。石川県などによると、14日午後4時頃、「浅野川で魚が浮いている」と、近所の無職男性(68)が交番に通報。県などの職員が大量のアユが死んでいるのを確認した。
地元の漁協には「ガソリンでも灯油でもない、シンナーのような臭いがして、からすが騒いでいた」という目撃者の証言が寄せられている。また、浅野川に架かる朝霧大橋から下流数キロのアユはほぼ全滅とみられる一方で、朝霧大橋から上流では異常がないことから、何者かが有害物質を朝霧大橋から投げ入れた可能性は十分に考えられる。
だが、奇妙なことに、金沢市環境指導課によると、川に油や薬剤の浮遊は確認されておらず、水質検査でも有害物質は検出されなかった。採取した死骸を調べたところ、えらに呼吸を妨げる付着物はなく、川の水も酸素不足の状態ではなかった。
市は「酸欠で死んだ可能性は低い。現場の上流などにも有害物質が流入した形跡などもない」と話し、現時点で大量死の全貌は謎に包まれたままだ。市では、採取した水をこの日から詳しく検査。更に県でも、アユの個体検査を実施し、内臓に有害物質を取り込んでいないかを調べるなどして、原因の特定を急いでいる。
最近の動物による“異常行動”としては、今年3月4日夜に茨城県鹿嶋市の下津海岸で約50頭のイルカが打ち上げられているのが見つかり、30頭が死んだケースがある。その1週間後に東日本大震災が発生した。アユ漁は、朝霧大橋から上流で予定通り16日に解禁されるが、同漁協は「楽しみにしている人のためにも、早く原因を突き止めてほしい」としている。アユの大量死が天変地異の予兆でなければいいが…。
近所の「等々力渓谷」記事 [オヤジのメモ]
(東京新聞2011年6月5日) http://bit.ly/iHbhqS
梅雨の季節を迎えて緑が深まる等々力渓谷。多摩川に注ぐ谷沢川の蛇行の名残が、都内とは思えない渓谷美をつくり出している
環8通りをまたぐように「緑の帯」が細長く延びる。隙間なく埋まった住宅地の中にありながら、自然の景観を満喫できる等々力渓谷は、東京23区内に残る唯一の渓谷だ。
東急大井町線等々力駅に近いゴルフ橋から谷に下りると、汗ばむ陽気が打って変わり、空気がひんやりしてくる。不動の滝が流れ落ち、低地に散在する湿地では清水が湧き出る。ケヤキやムクノキなどの木々がトンネルのように渓谷を覆い、谷沢川のせせらぎが響く。
「渓谷の外より気温が2、3度は低い」と等々力渓谷保存会の高橋勝義副会長(73)は言う。地盤の強固な武蔵野台地の南に位置し、谷沢川と多摩川が合流する手前で渓谷が形成された。滝の上にある等々力不動尊は、平安時代、修験者の霊場とされてきたという。そんな歴史もあってか、近年はテレビなどでパワースポットとして紹介され注目を浴びている。東日本大震災の影響で節電が叫ばれる今夏は「天然の涼み場所で、さらに大勢の人が訪れるのでは」と見込んでいる。
等々力一帯がまだ農村だった大正末期から、先人たちはこの自然の貴重さに気づき、市街地化の中で守り続けてきた。高橋さんらはそれを受け継ぎ、バトンを次代へ継承する。
Mount Fuji In Red 黒澤監督の予言 噴火と放射能汚染 [オヤジのメモ]
黒澤明の映画「夢」の中のショート・ムービー・・・・正夢か!
まんが日本昔ばなし 「みちびき地蔵」
(コメント)
宮城県の気仙沼のお話です。あまりにも今回の災害と重なりましたのでアップさせて頂きました。亡くなられた方々にご冥福をお祈り申し上げます。
伊勢正三 「風」ひとり旅コンサート [オヤジのメモ]
伊勢正三 「風」ひとり旅コンサート で全国へ
「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお歌い継がれる名曲を生み出してきた伊勢正三さんが、全編「風」時代の楽曲によるアコースティック・ライブに、2年前から精力的に取り組んでいる。今、風と向き合うことが自身にとっての挑戦になっているという。その胸中には風の相棒・大久保一久さんへの思いもあった。
伊勢正三さんこんな時こそ、歌の力を信じて
「こういうことが起きると、何のために自分が音楽をやっているのかということを、ものすごく考えさせられますね」
取材数日前に起きた、東日本大震災のことだ。
「苦難に直面した人間が、どうしようもないやるせなさ、つらさを乗り越えるために誕生したのが音楽だし、人の気持ちを前へと向かわせるのが音楽の役割。様々な不安が蔓延(まんえん)している今だからこそ、僕らミュージシャンはもともと持っている純粋なエネルギーを世の中に還元していくべきだと思う。僕も本当にいい歌を歌いたいし、いい演奏がしたい。すごくそういう気持ちになっています」
いい音楽が流れていれば、心は安らぐもの。それがほんの一瞬だとしても。「歌の力を信じてより精進していかなければと、今回の震災で思いました」と伊勢正三さんは言う。
そんな伊勢さんが2009年4月から取り組んでいるのが「風」ひとり旅コンサート。すべて風時代のナンバーだけで構成されたライブである。
1971年、高校時代の合唱部の先輩でもある南こうせつさんに誘われ、フォークグループ「かぐや姫」に参加し、「神田川」の大ヒットによって一世を風靡(ふうび)した。そしてかぐや姫解散後の75年、大久保一久さんと風を結成。かぐや姫時代から、洗練されたメロディーと情感あふれる詩の世界で人々を魅了していたが、風では「かぐや姫の伊勢正三」とは違った、新たな音楽の世界を展開。それによってさらに熱烈なファンを増やしていった。事実、「ささやかなこの人生」「あの唄はもう唄わないのですか」「海風」「君と歩いた青春」「海岸通」といった名曲の数々をはじめ、79年に解散するまでに発表したアルバム6枚、シングル6枚の楽曲は、時を経た今も多くの人々の心にしっかり刻まれている。
「風」ひとり旅コンサートは2007年、風の再結成に近いプロジェクトが動き始めたことがきっかけだった。翌年には、東名阪で再結成ライブを実施することが決まり、リハーサルも順調に進んでいた。ところが、その矢先の08年4月1日、相棒の大久保さんが倒れてしまった。命にかかわる病だった。
「最悪のエープリルフールでした。緊急を要する大手術で翌朝、何とか一命は取り留めてくれたものの、ライブ活動を行うことは難しくなりました」
そして1年後、伊勢さんは一人で「風の旅」を始めることにした。
「大久保君の回復を願いつつ、彼が奇跡的に助かった4月2日から、ポツリポツリと全国各地をまわることにしました。なぜか和歌山県の潮岬から始めたくてそうしたのですが、ちょうど丸2年がたち、20カ所ほど行きました」
ギターを弾きながら歌うというごくシンプルなスタイルでのライブを繰り返す中で、風こそがまさに自身の原点だと再確認している。
やり残したことがあるような気がして…それが「風」だった
―― 以前から、時代が「風」の頃の曲を欲していると感じていたそうですが
ソロになって、ほとんどライブをしていない時期が長くあったのですが、2000年あたりから「かぐや姫」の再結成やイベントへの参加を契機に、徐々にライブの機会が増えていきました。最近では「なごみーず」という太田裕美さん、元ガロの大野真澄さんとのユニットでも積極的に活動しています。
そうしたライブで風の曲を演奏すると反応がとにかく大きいんです。イントロを鳴らしただけですごい拍手がきます。そのたびに、あの頃のお客さんは自分が思っている以上に、相当な集中力を持って僕らの歌を聴いてくれていたんだなと実感します。それに応えるには、当時の楽曲をただ披露するだけではなくて、僕自身が相当な集中力と意欲を持ってちゃんと表現しないといけないなと思ったんですよね。本来なら大久保君と2人で実現できればよかったのですが、それは無理なので一人で挑戦しようと決め、風の旅を始めたわけです。あの頃の歌の中にいる自分の若さをもう一度見つめ直すのも悪くないかなという思いもありました。
―― しかも、アコースティックギターだけというシンプルなスタイルでの挑戦
そう。一番得意とするギターサウンドではあるのですが、それだけでどこまで風が表現できるか。実際、ライブでは予想もできないほどのエネルギーが出るし、また、それだけのパワーがないとできないことに挑戦しています。今だったらあの頃のサウンドをこんなふうに表現できるかなって、いろいろ試行錯誤するのも楽しみになっています。
―― 風というのはどんなグループだったのでしょうか
思うがままの音楽をやりたい、どこへでも自由に行きたいと願い、風と名づけたほどなので、基本的には自由だったと思います。たった4年という短い活動期間にもかかわらず、アルバムの志向性も毎回変わっているし、特に後半は音楽的に凝り始めたのもあって、レコーディング中心の活動になり、ライブの本数も極端に減っていきました。きっと、それもあってやり残したことがあるような気がするんでしょうね、あの頃に。
―― 自由さが風のスタイルだった
ライブでもその日によってイントロが違うことも多かったんです。それがいいっていうお客さんもいたのですが、よく考えるとごく一部だったかな(笑)。でも「風」の曲をギター2本のアンサンブルだけで歌っていると、これが風だったな、自分の原点だなって。そんなことも再確認しているところです。
―― 風の曲の中で新たな発見は
2枚目のアルバム「時は流れて」に入っている「時の流れ」は、歌っていてかなり気持ちいい(笑)。僕だけでなく、お客さんのテンションもグッと上がる瞬間です。「終わりのない唄」も20代の小僧がよくこんないい歌を作れたなと感心しつつ歌ったりしています。それら以外の曲でも、とにかくこのライブでは、客席に歌詞がどんどん吸い込まれていく感じがします。
「時が解決してくれる」という思い
―― 何げない日常と心象風景が重なりあった歌詞と、繊細なメロディーが風の魅力です。歌詞を書くうえで心がけていたことは?
「時の流れ」です。「時がすべてを解決してくれる」という思いが根底にいつもあって、そのスタンスのもと、どの曲も書いてきたつもり。時の流れって「永久」とも言えるし、「その場限り」とも解釈できる。悲しいこともいつか解決できるし、楽しいことはまた明日は違ってくるかもしれないという意識が、何となく自分の中にあるんです、昔から。
今でも「時間って何なんだろう」と不思議でたまらない。僕は「魂は年をとらない」というのが持論で、子どもの頃と何ら心の内は変わっていないつもりなのですが、一方で、年を重ねた自分って何なんだろうとも思うし。外見だけじゃなくて心だってちょっと老けたところを感じたりもするしね。
―― 風の歌が今なお多くの人を魅了してやまないのはなぜでしょう
必ずしも僕が実体験をしたことではないのですが、あれだけリアリティーのある歌詞がなぜ書けたかと言えば、自分がいつも人と同じ目線の生活をしていたからだと思います。それと20代という年代も大きいですよね。
―― というと
10代の終わりから20代の始めって人生で一番せつない時じゃないですか。あの数年間って一番心揺れ動くし、異性に対しても最も敏感になる時期。だからこそ、その時に浮かんだ言葉や見えた景色は特別なものだったんだと思う。僕が風の歌を作っていたのがまさにその頃だから、そのせつなさに共鳴してもらえているんじゃないかな。
「なごり雪」「22才の別れ」のお陰で僕の音楽人生がある
―― 大ヒットした「なごり雪」「22才の別れ」は自身にとってどんな存在?
この2曲があるかないかで僕の音楽人生は大きく違ったと思います。この2曲のお陰で他の部分の僕も評価してもらえている。ただ、どちらもここまで長く、幅広い世代に愛される曲になるとは正直思っていませんでした。
「なごり雪」はかぐや姫時代に、僕が初めて作詞作曲をした作品で、ものすごい集中力で作った記憶があります。時々、もしタイトルが「なごり雪」じゃなかったらとか、一字一句でも違っていたらここまでの曲にはならなかっただろうなと思うことがあります。ある意味、この曲の誕生は奇跡に近い。僕にとっては巨大な存在です。
―― この曲はライブでは聴けるのでしょうか
風の曲ではないので、最初は予定になかったのですが、ある地方で「コンサートで伊勢さんに歌ってほしい曲は」というリクエストを募ったところ、1位が「なごり雪」だったので今は歌っています(笑)。でも考えたら、風の時は「なごり雪」だけは歌っていたんですよね。
―― 最後にみなさんへメッセージを
ギターを持って駅を降り、その町の空気感や自分たちがその瞬間に感じたものを大事にしてライブをする。それが風のスタイルでした。今回も、そこで暮らす人たちと僕の音楽がどう共鳴し合うのか楽しみにしながら各地をまわっています。みなさんにもそこを含めて楽しんでいただきたいです。
プロフィール
1951年大分県生まれ。71年南こうせつさん、山田パンダさんとともに「かぐや姫」を結成。「なごり雪」「22才の別れ」などの名曲を生み出す。解散後、75年大久保一久さんと「風」を結成。「ささやかなこの人生」「海風」などがヒット。80年よりソロへ転向。85年から表立った活動を休止するが、93年に復活。現在はソロライブの他、太田裕美さん、元ガロの大野真澄さんとのユニット「なごみーず」など、様々なアーティストとのコラボ活動にも精力的に取り組んでいる。
伊勢正三 「風」ひとり旅コンサート 2011 TOKYO 2nd
日程 2011年5月14日(土)
会場 渋谷C.C.Lemonホール
料金 6,300円(全席指定、税込み)
お問い合わせ キョードー東京 TEL:0570-064-708
http://kyodotokyo.com/isesyozo2011
※日程などの詳細は上記にお問い合わせください
伊勢正三ソロ活動30周年記念アルバム 発売中
「ソロ・シングルス・プラス」
シングル曲を中心にレーベルの枠を超え、選りすぐりの全16曲を収録
定価2,800円(税込み)
発売元フォーライフレコード
「セルフ カバー セレクション」
「かぐや姫」「風」、ソロの楽曲、さらに未発表音源を収録した初のセルフカバーアルバム
定価3,000円(税込み)
発売元HAL Project