メルがボクよりも先に逝ってしまった、なんでだろう・・・ [ボクのつぶやき]
2年前からメルの鼻がつまり気味で、時々ズーズーと息苦しそうにしていた。いつものヤツだと思っていたら、それが長く続くのでオヤジと母はすぐに医者につれていった。
レントゲンと血液検査、超音波検査をして、先生からレントゲンを見て説明してくれたらしく、黒くなっていなければいけないところの多くが白くなっていて、肺にいくはずの酸素が十分にいっていないということだった。母は聞きそびれたようだがオヤジが先生がいったことに敏感に反応したようだ。
「覚悟しておいたほうがいいです」
そして先生から「酸素ハウス」をレンタルするようにすすめられたようで、翌日オヤジがすぐに借りてきて、メルは酸素ハウスに入った。
林住期 [ボクのつぶやき]
2010年が明け、今年はオヤジも50歳という節目の歳だと言っていた。
50歳というとオヤジという言葉が似合う歳だと思うけど、精神的にはまだ30代前半くらいだとも言っていて、骨年齢とか脳年齢なんかで、それをやるとオヤジはまだ20代だと自慢していたっけ。
古代インドの思想では、人の一生を4つの時期に分けて考えている。
「学生期」(がくしょうき) 0~24歳 修行に励む時期
「家住期」(かじゅうき) 25~49歳 職業と家庭をもって社会生活を営む
「林住期」(りんじゅうき)50~74歳 仕事と家庭を捨てて森に住む
「遊行期」(ゆぎょうき) 75~90歳 森を出て、天下を周遊し、人の道を伝え、生涯の結実を世に残す
オヤジがオトトシの暮くらいから「田舎暮らしだ!」とか言って、いろいろな土地を見に行ったりしていて、情報収集をしていた時期があった。ボク達も付き合わされて一緒に見に行っていたんだけど、中には川の中心くらいまで自分の土地で、「免許とかがなくても鮎が獲り放題ですよ」というのがうたい文句だった。また、まだ老夫婦が住んでいて売りに出されていた古民家にお邪魔して、いろいろ話を聞いてきたりしていた。
「仕事と家庭を捨てて森に住む」というのは、オヤジもまさに、そういう年齢になったのか、という感じ。
五木寛之著のベストセラー本「林住期」では、社会人としての勤めを終えた後、すべての人が迎える最も輝かしい「第3の人生」ということだ。趣味でもなんでも自分がやりたいと思っていたことなどをやる時期で、そこにはお金というものは絡まない。旅をしたり山に登ったり、好きな研究をしてみたりと、自分の時間というものを大切にすることではないかと思う。でも、それをするにもお金はかかるから、それまで準備しておけということか?この本の中で、オヤジが一番気に入った言葉が、「夫婦は愛情ではなく友情を育む時期である」ということだそうだ。
この区分は元々インドのヒンドゥー教の男子に適用される理念的な人生区分のことで、「アーシュラマ」というみたい。本来ならば、瞑想や苦行などによりカルマを落とすのが人生の目的みたいな教義だけど、とても一般人には世捨人みたいな神聖な人生を生きられないことから、妥協点をみつけて区分されたようだ。
一方、中国では孔子という人が50歳の時に「天命を自覚した」と言っている。原文だと「子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩」となる。
「子曰く、吾れ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知り、六十にして耳順う。七十にして心の欲に従って矩を踰えず」ということになる。
現代語に訳すと「孔子は言いました。私は、十五歳の頃に学問に生きることを決意した。そして三十歳でやっとその基礎を築くに至った。四十歳にして、これまで自分が学び、創りあげてきたものが間違いではなかったと確信することができるようになった。五十歳になって、自分がこのように世の中のために努力を続けることは運命であったのだということに気が付いた。六十歳になる頃には、自分とは異なる意見を聞いても腹を立てることが無くなり、素直に納得すること、あるいは受け入れることができるようになった。七十歳にして、ようやく自分の思うままに行動をしても人間の法則から外れることがなくなった」 http://www.geocities.co.jp/Bookend/1468/isei.html
まあ、これは孔子様自身の事なので、とても凡人には当てはめることは難しい。が、全てが、結果的にそうなっていった、という話なので、常日頃の心構え的なものを諌めているのではないかと思う。
ボクも年齢的にはその「林住期」に入っていることになる。娘達も順調に育って、一緒に遊ぶのも疲れてきたし、そろそろ、ここから抜け出して、森にでも逃げこもうかな!?
祝勝会 [ボクのつぶやき]
オヤジの知り合いで元区議の関口太一という人が東京都議選で当選し、祝勝会をしたとのことで昨日は夜中に大酔っぱらいで帰ってきたようだ。
ボク達はもうに寝てたんだけど、今朝はみんな朝ご飯が終わってハハはもう出かけるという時に、オヤジが起きてきて「おはよう、じゃあね」で会話は終わり。
なんだか気まずい雰囲気が漂っていた。
ハハは先週まで病院に行っていたんだけど、かなり回復しているようで今週からは会社にいっている。ボク達はよくはわからないんだけど、今流行りのインフルではないようだ。だから、ここんとこお出かけはなしで、オヤジが散歩に連れてってくれている。
その都議になった人は区の中でトップ当選だったらしく、オヤジもよっぽど嬉しかったんだと思う。 そんなことでオヤジも昨日はハジケタんじゃないかな。
これで日本も変わるかなあ、とまたオヤジのブツブツが始まった。
老いるということ [ボクのつぶやき]
物忘れと独り言
オヤジは最近物忘れが多いようだ。
忘れ物は小さい時からの得意技の一つだそうで、小学校の時などは寝ぼけたまま学校に行ったら制服の下はパジャマだったとか、サンダルで学校に行っちゃった、なんて笑ってた。
最近は忘れ物というより、もの忘れが激しいようで、まず人の名前が思いだせない、単語を忘れたなどしょっちゅうだ。まあ、これが自然なんだと言い聞かせてるようだけど、老化の一途をたどってるって感じ。
老化と言えばもっと深刻なのは自分で気づいてないのかもしれないけど、最近一人でぶつぶつやってることだ。ハハと話してるのかとおもってたらオヤジしかいなかったり、この間なんかオヤジが言ってたんだけど、街中を歩いてる時に考えごとをしてて急にあることがわかって「そうか!」ってつい大きな声で叫んでしまったようで、前を歩いていた人たちが一斉に振り返ったんだって。
それにびっくりしたって言ってたけど、自分が叫んだことにもっとびっくりしろよ、って喉まで出かかったよ。
老いるというのは四苦の中に入っているけど、なんでこんな自然なことなのに苦なのか今はまだわからない。
4年間の空白 [ボクのつぶやき]
オヤジが言うには、今から4年前の2005年に書いていたこのブログが、たぶん手続き上の問題で、突然消去されてしまい、オヤジと二人で残念がっていたんだ。
そしたらオヤジが最近使っていなかったメルアドを久々に見てみたら、このブログのことでメールがきていて、びっくり。
ボク(ミニチュアダックス♂9才)も若かったなあ!今はオヤジ(飼い主)と同じくらいボクもオヤジになってしまった。
オヤジは言っていることとやってることは相変わらずで、自分でも「成長してないよなあ」とこぼしていた。
でもこの4年間はボクにとっては犬生で一番大きな出来事があった4年間だったんだ。
娘が2人出来たこと!!
メルほぼ7歳、ボクほぼ6歳との子で人間で言えば、たぶん45歳くらいかなあ、いわゆる高齢出産だったんだ。
その子供も今では2歳になり、ボクがいつも遊んでやってる、というか遊ばされている。
だからボクはオヤジと違ってあきらかに成長したと自分でも思う。
子供ができたと同時にオヤジ達は新しいブログも始めているけど、このブログもせっかくだから、ボクとオヤジで時々ぼやいてみようと思う。
本能のまま [ボクのつぶやき]
久しぶりのアップになってしまった。
先月の終わり頃からメル(メルロー:ミニチュアダックスワイアー、♀)がヒート(生理)になり、ボク(ポムロー:ミニチュアダックスワイアー、♂)はもう頭の中がメルでいっぱいいっぱいになってしまい、とてもアップする環境ではなかった。
メルのことを考えると夜も眠られないし、ご飯ものどを通らなくなる。
去年のことがあり、オヤジ(飼い主)たちは半分は諦めているみたいだけど、ボクは種の保存の本能により何としても子孫を残したいと思っている。
メルもこれが最後のチャンスになるけど、こればかりは天のみぞ知るで、ほんとに子供は授かりものだと思っている。
後、一週間くらいこの状態が続くけど、そろそろ体力の限界だ。
水遊び [ボクのつぶやき]
ボクとメルは水遊びが大好きだ
メルの得意ワザは石や流木を水の中から陸に揚げること。なぜやっているのかボクにはわからない。
ボクはカヌーに乗っているとき、浮きボールをめがけて時々カヌーから落ちて溺れそうになるけど、ライフジャケットがあるから最近は平気になってきた。
はやくあったかくなんないかなあ
まだ水冷たいよなあ
スキンシップ [ボクのつぶやき]
ボクたちはスキンシップを重要視している。
寝ている時も必ず体のどこかが誰かにあたっている。
別にそうしないと不安だとか寂しいからということではなく
触れあっている事で連帯感というか、つながっているという
実感があるから。
アイサツでもまずオヤジたちの口めがけて飛びつく。いわゆる飛びつきキス。
またほおをスリスリすることで、臭い付けして家族であることを再確認。
オヤジの足とかに傷みたいなものがある時は、ナメナメ。これで完治。
昼寝のときは顎をオヤジの足に乗せたり、後ろ足の片方を乗せて一安心。
ただオヤジはメルのときは何もなかったけど、ボクがきてから犬アレルギーになってしまった。
あんまりナメナメするとブツブツができる。
それもボクがなめて治してあげたい?と思っている。
ドックイヤー [ボクのつぶやき]
ドックイヤーという言葉がある。
特にITを中心とした技術の進歩の速さで目まぐるしく変化していく様をいっているけど、確かにボクたちは人間に比べ7倍のスピードで年をとる。でも一日が一週間分くらいの内容かというと同じように朝起きて散歩してオヤジたちが会社に行っている時はほとんど家でゴロゴロしているだけだ。 ただ、ボクたちは一生が12年から18年と決められていて、きっとそれより早く死んでしまうこともあるけど、それが短いとか感じることはない。
時間というものもあくまで相対的で、例えばキャンプに行く前なんか早く行きたくてウズウズしている時、「オヤジ早く準備してクルマ出せよ!」みたいなえらくその待っている時間が長く感じたり、特にツメを切られている間はずっと長く感じる。カヌーとか乗ってたり水で遊んでいる時はすぐに時間がたってしまう。時間というのはその時の感情や状況によって長さが違ってくる。 ドラマ「優しい時間」を観てると眠くなるのはなぜか?
現在と過去と未来においても今というのはあるのかないのか、確実に時は刻まれていて一瞬の内に全てが過去になっていく。その瞬間の連続の中にボクたちは生きていて確実に終わりの時に向かっていく。
オヤジも若いころ「生きる意味とか目的」で悩んだ時期があって、哲学書とか心理学や宗教書を読みあさって結局出た結論は「死に向かって生きている」のが真理だってことだったとか。
「死ぬために生きるのか」「生きるために死ぬのか」ってところで、自殺なんて考えは全然しなかったって言ってた。
今日本で生きる意味を見失ったり様々な事情で年間3万人の自殺者がいる。その予備軍を考えたら10倍20倍はいるだろう。
ボクたち犬の世界では自殺したって話しは聞いたことが無い。与えられた命を与えられた環境の中で与えられた寿命を全うするだけだ。単純に何も考えて無いと言われればそれまでだけど、ボクらはただ「自然の摂理」に従っているだけ。
人間は太初より自然のありかたを観て人間としての生き方を学んで来た。
この間の話しではないけど、そこにボクたちの存在価値があるのかもしれない。
ジュビリスト [ボクのつぶやき]
ジュビロサポーターのオヤジたちが今日、日産スタジアムで行われたJリーグ開幕戦「横浜FマリノスVSジュビロ磐田」を観に行ったようだ。ボクたちはもちろん留守番。
試合は0-1で磐田がからくも勝利したとのこと。ただ勝ったのにあまり浮かない感じだった。ジュビロの試合内容が悪過ぎて、マリノスのほうがスピード、コンビネーション、パスワーク全てにおいて優れていたとのこと。逆にジュビロはスローでパスがつながらず、コンビネーションもバラバラで中盤からの攻撃が最悪だったようだ。
得点も偶然はいったというかんじ。(後でテレビで観ると明らかに福西のハンドだった)福西もこれで神の手改め仏の手ジュビロのマラドーナになったって。
午前中は犬の仲間んちに産まれて1ヶ月の赤ちゃんを見に行ったようだ。去年産まれて死んじゃったボクとメルの赤ちゃんに似ていたみたい。
今年は少しプレッシャーになっているけど、オヤジたちの期待に応えねば。